のんびり気ままに、安らぎも忘れずに。
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例えば、一緒にいるときの楽しさだとか。
そのクセして、一緒にいると、妙に落ち着かない気分になることとか。
ひとつひとつが、他のダチとは違っていて。
けど何が違うのか、俺自身にも分からない。
そのクセして、一緒にいると、妙に落ち着かない気分になることとか。
ひとつひとつが、他のダチとは違っていて。
けど何が違うのか、俺自身にも分からない。
これまではダチっつっても、一緒に馬鹿やったり悪さしたりするような仲間しかいなかった。
奴等との「遊び」も楽しかったけど、アイツといるときの楽しさとは違う。
その時楽しけりゃそれでいい、そんな刹那的な楽しさじゃない。
どっちかといえば派手さのない穏やかな時間なのに、それを楽しいと感じる自分がいる。
これが、普通のトモダチってヤツなのか、とか思ったりもした。
けど、多分そうじゃない。何かが違う。これは直感。
大事にしたいと思う気持ちは、トモダチなんて言葉じゃ説明しきれない。多分、もっと親密な何か。
確信じゃない。確信なんて抱けない。
確信を抱けるほど、人とのつながりを経験してない。
かつてたった一度だけ抱いた、あの気持ちとも少し違う。
あんな風に、自分の全てを捨てても良いと思うほどの狂おしさはない。
それでもこれは、多分。
例えば、二人でいる時間の穏やかさだとか。
それなのに、なぜかぎくしゃくとしてしまう瞬間だとか。
どれもが、これまでの友人とは違っていて。
けれど何が違うのか、僕には説明することができない。
これまでは友人づきあいをしていても、僕はどこかで彼らと一線を引いていた。
彼らといることは苦痛ではなかったけれど、彼といるときのような穏やかさはなかった。
ただ苦痛でないだけでどうでも良い、そんな気持ちとは違う、安心感。
たわいのない話をしているだけなのに、どこかが満たされていくような気がする。
本当の「友達」って、こういう関係だったのか、と思わないでもない。
けれど、多分そうじゃない。何かが違う。それは直感。
彼と得られる安心は、満たされていく感覚は、「友達」なんて表現にはおさまりきらない。多分、もっと親密な何か。
確信じゃない。確信なんて抱けない。
人を拒絶してきた僕に、人とのつながりは分からない。
たった一度、深く愛した人がいた。あの気持ちとも少し似ていて少し違う。
あんなに狂おしく、相手の全てを欲するような激しさはない。
それでも、多分。
「――なあ」
壁の時計をぼんやりと眺めながら、彼はぼんやり声を掛けた。
でも、本当はぼんやりなんてしていない。僕はそれに気づいてる。
「はい?」
本のページに目を落としながら、何気なくヤツが応えた。
けど、本当はさっきから本なんて読めてなかった。俺はそれに気づいてた。
静かに、穏やかに。それから微かな緊張と。
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